太陽と海の恵み〜女性の鍼灸院院長ブログ

東京の大森にある こころとからだの女性専門鍼灸(しんきゅう)院「はりきゅう しぜんの恵み」女性針灸師の日々

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心身ともに活発になる季節がやっと訪れました。

春菊、フキノトウ、菜の花など・・・
春の植物には、
苦味などがエネルギーを冬眠状態から起こしてあげる作用があります。


15の春は今までの人生の中で最も心踊った季節でもありました。

大人の仲間入りをしたような、
やっと自由の門が見えたというか・・・。


孔子の言葉でこんな言葉がありますよね。

 吾15にして学に志し、
 30にして立ち、
 40にして惑わず、
 50にして天命を知る。
 60にして耳したがい、
 70にして心の欲するところに従って矩をこえず。


私は70歳の文面が好きです(笑)


最近60代の鍼灸の先生とお話する機会がたくさんあります。

「今の若者は日曜日に働くし、休む時に休まない。」とも言っていたし、
(それは即戦力ばかり求められていて、使い捨てられ、育てる余裕がないとも聞こえました)
「あの頃の上昇した時代はもう来ないし、経験できない。だから不安で休めない。可哀想だ。」とも言っていました。

たしかに今の時代はどんどん過酷になっていて、
ほとんどの組織は必ずや保証できるとも言えません。

ですが、たぶん、誰かがある時代に生またのならば、
それがどんな時代だろうと、
みんな自分の時代を愛するものだと思います。

今はいつ、どうなるかわからない時代とも言われているので、
(いつの時代も過酷なのは同じですが、)
私は心の欲することに従って、生きていたいと日々感じています。

それは小賢しいことを考えず、
まわりの声に耳を傾けて、
自分を知り、
しっかりと自分の足でたっていることなのだと思います。

もし、輪廻転生があったとしても、
今回のこの肉体で生きるというのは、
これで終わりなので、
色々と思いつくことをチャレンジして楽しんでみないともったいないですよね!



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今は、
迷っていいのだと思います。

悲しんでいいのだと思います。

つまらなくていいのだと思います。


そんな事より、
今すぐその重っ苦しい状況を変えたいからと言って、
無理くりいい気分に持っていくとか、
逆に責めたり、
周りに羨ましがられたり同情されるような事をして、
その時の自分を鈍感にして誤魔化すほうが、
虚しく寂しいものなんだと思います。


なぜに自分は今、
世間一般的にネガティブ・センチメンタルと言われる状況なのか、
自分の中を探る行動をするほうがかっこいい意識なのだと思います。


今の心情が、
一般的に勝手に人間が「BAD」と定義つけ、
すり込んだ心情なだけで、
本当にそれが自分にとって「BAD」なのかはわからないものです。


それらは今後自分が本当に求めるものをつかんでいくために、
ジャンプの活力剤となる必要なものでもあると思います。




世界の哀しみが、
みんなのアイを掘り起こして、
世界を変えるエネルギーになりますように。


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放射能は東洋医学の中で分類するとなると、
「邪気」となるのです。

昔からある東洋医学では、
最近出てきた物質や病気でも、
ちゃんと当てはめて考えられるようです。

(ということは放射能は物質よりもエネルギーよりに近いのかもしれません)

「邪気」は入っても、
しっかりと出す力がないと留まって、
身体の中で悪さをする。

子供はまだその出す力が弱いから、
放射能汚染は大人よりも深刻です。

もちろん大人でも、
虚弱体質の人や女性(とくに溜める性質のある子宮)は、
「邪気」を流せにくくなっているのです。

いかにも放射能は一度身体の内部に入ったら、
全ての物質が永遠に留まり続け、
内部被爆していくという説明がされていますが、
全てとは考えにくいと思っています。

人の身体により、
個人差が出てくるのだろうと思います。

ですからこれからの時代は、
特にしっかりと自分なりに身体のケアをして、
免疫力や自分自身をコントロールしていかなければならないと考えています。

(もちろん純度の高い水やビタミンCの摂取、運動なども)



そして私たち治療家も自分自身のことをないがしろにしてはならないのです。

それは人一倍の精神バランスと身体の力が必要となるからです。


中庸(バランス)とは人間にとって最高のことであり、
それは、
癒しという意味となるのですね。


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祈りの力とはいかなるものか。

危ないと言われている東京がまだなんとかもっているのは人口が多い分、
祈りの力の総量が大きいから?

東京も富士山もきっといつか何かが来るのでしょうが。。。
アメリカの医療保険会社は鍼灸を医療費として認可している。

何故なら、
結果的に鍼灸を定期的に受けていた者のほうが医療費はかからないからだ。

やはり、
未病より激しい病気のほうが治療費も時間もかかるということ。

鍼灸治療は免疫力もあがり、
病気になりにくくなるということ。

病気の程度にもよるだろうけど、
鍼灸の好きなところは症状をあまり選ばずに割りとオールマイティーに対応ができるということ。

「○○病専門」という看板がいらないということ。

運動器疾患も内臓疾患も精神疾患もそれなりの対応策があるということ。

(だからといって鍼灸は魔法ではないし人間はロボットではないので、
どんな状況でも100発100中ではないけれど)


全てはひとつという東洋的な視点から鍼灸医学は成り立っている。

上の症状は下のツボが、
表の症状は裏のツボが、
右の症状は左のツボが、
表斜め右上の症状は裏斜め左下のツボが、
治療点となることがある。

私はこの視点にビビビときている(笑)




どうしてこの世界に入ったの?
なんて話はよくするが、
幼い頃から今までの何となくが集約されて、
ここにたどり着いてビビビときたようだ。

だから理由というのがいつも答えにくいように感じています。


でもすごく簡潔に答えるのなら、
1つは姉が先天性股関節脱臼で、
術後の経過が芳しくなく、
苦しんでいて最先端医学にとても不完全さを感じていたこと。
(完璧な科学というものはなく、人間自体の存在がまだまだ不透明なもの)

2つはどうせなら何か役に立つ様な仕事がしたい言ったと友人に比べ、
何となく大学に行こうと思った自分を恥じたこと。

3つは鍼灸という世界観を知った時ハートにビビビと稲妻が走ったこと。




・・・なのかもしれません。


羞恥心も時には大事です(笑)


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もし、
ずっとこのままこの制限の多くある中で、
働き蟻のように、
馬車馬のように、
働いていくのだったら、
それは自分の人生にとって不本意だし、
生きている意味がない。

というより、
生まれてきた意味がない・・・。

昔々、
何故だかそのような言葉が胸の奥で鳴っているような気がしていた。



いつしか世間は、
好きなことをして食べていく事は難しい事、
と口を揃えていう事になっていた。

だから自分で自分に、
それは一部のとっても優れた人しか許されない世界なんだとマインドコントロールをしていた。



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しかし好きなことというのはどういう事か。

10代の頃はお洒落や美容に少し興味があった。

だけど今思えば、
それは私にとって、
見栄や鬱憤の発散のためだったのかもしれない。

なぜならそれら対して、
「どうしてそうなのだろう」という「?」が生まれなかったのだ。

可愛い服に身を包んで、
街を歩けばそこで終わりだったのである。




最近、
「夢」というなど、
耳障りのいい言葉を使って誤魔化している文章もよくあるが、
それは「夢」という名の欲望が姿を変えている場合もある。

お金を稼いだり、
名を広めたりして、
他人より優位に立っていたい。

そんなものは夢ではなく、
人間の陥りやすい我欲の落とし穴だと思っていつも見ていたい。



そのようなものは関係なくして、
例え食べていくのが少々難しくても、
世間にあまり認められなくても、
そのような不安をさほど気にならないほど、
「もっと深く知っていきたい」と欲した事が「ほんとうにすきなこと」の最初の発見でした。


そのために必要なものは、
それに協力的で、
自分を潰さない環境であり、
誰にも邪魔されない自由な仕事場でした。

今思えば自らの意識が環境を造り上げていったかのようだ。


自由を求める事に反対する者もいる。

だが、
彼らは他人の人生の一部しか知らない。

彼らをそう促すのは、
己の迷いや恐怖心なのだと思う。

自分が決めさえすれば、
彼らは手をふってその場を立ち去るか、
相手を見るまなざしを変えるだろう。



学生時代は、
好きなことだなんてわからないから、
とりあえず見つけるためにも大学に行っておこうかなとも思った事もあったが、
辛い環境に置かれれば、
置かれるほど、
心が欲するものが見えてくる事がわかった。


なぜなら、
自分にとって、
絶対捨てられない何かにしがみつくからである。

もし、
それをなくしたら生きていなくてもいいと思ってしまった。


もちろん、
捨てたほうがいいものに勘違いしてしがみついている場合もあるし、
弱さから素晴らしい魂を悪魔に売ってしまう人もいる。

だがその場合、
いつかその者自身に限界がくるものなんだと知っていた。




ごくたまに出会う、
賢人のような人達はみんな魂をしっかりと持ち、
余計なものを落としながら、
磨き続けていた。



少しずつ、
少しずつ、
色が足され、削られ、
見えてくる絵画のように、
ほんとうにもとめていることは姿形を現してくれる。


それは尚今も姿形を変えながら進行形である。



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しぜんの恵み

Author:しぜんの恵み
はりきゅう しぜんの恵み
院長 須藤恵理子です。

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