ここに来る前は、
何の喜びも悲しみもなく、
人形みたいにただベットで寝ていた。
ここに来てから、
色んな事に感動したり、
涙を流したりして、
私はとても人間らしくなったのだと思う。
たま~に患者さんからこんな言葉をいただきます(笑)
「人間らしい」という言葉が人によって素晴らしいものに聞こえるか、
それとも低俗に聞こえるかはあると思いますが、
私としてはそれが、
「What a Wonderful World」を生きているのだと感じます。
本当にそう感じて生きる事が案外大変なものだったりするからです。
一つの花や色んな出来事が自分の心に沁み込んで、
人は嬉しかったり切なかったりして、
それでも在り続ける事。
それがきっと、
「What a Wonderful World」なんでないかなぁ、と。
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何の喜びも悲しみもなく、
人形みたいにただベットで寝ていた。
ここに来てから、
色んな事に感動したり、
涙を流したりして、
私はとても人間らしくなったのだと思う。
たま~に患者さんからこんな言葉をいただきます(笑)
「人間らしい」という言葉が人によって素晴らしいものに聞こえるか、
それとも低俗に聞こえるかはあると思いますが、
私としてはそれが、
「What a Wonderful World」を生きているのだと感じます。
本当にそう感じて生きる事が案外大変なものだったりするからです。
一つの花や色んな出来事が自分の心に沁み込んで、
人は嬉しかったり切なかったりして、
それでも在り続ける事。
それがきっと、
「What a Wonderful World」なんでないかなぁ、と。
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「何か」は突然に起きてしまうものだと思います。
それは「ノーマーク」なもので、
必ず「想定外」であります。
きっとそれは、
どこかで、
「起こりうる事ではないどだろう」、
と安心している部分でもあると思います。
勝手にいつのまにやら自らが想像を作り上げていたり、
思い込みという形で積んでいるのだろうと思います。
それが崩れたときには、
人々は大きなショックで、
その思い込みも固めていたものも崩れる。
念には念をといいますが、
きっとそれはコストと手間が重なり合うことなので、
自然と省いていたり、
安易なほうに物事は微妙に傾いていくのでしょう。
だから完全はないということでもあります。
いくら安全や永遠を重ねても、
「事故」や「死」は起きてしまうものです。
なので、
「これは必ずこうだ」と肯定できるものはほとんどないということだと思っています。
時間の流れさえも、
あらゆるものを疑っていくのかもしれません。
それは何もかも海に解けるような感覚でもあり、
全てと一体感を感じる瞬間は今後とても大切な時間となっていくのでしょう。

それは「ノーマーク」なもので、
必ず「想定外」であります。
きっとそれは、
どこかで、
「起こりうる事ではないどだろう」、
と安心している部分でもあると思います。
勝手にいつのまにやら自らが想像を作り上げていたり、
思い込みという形で積んでいるのだろうと思います。
それが崩れたときには、
人々は大きなショックで、
その思い込みも固めていたものも崩れる。
念には念をといいますが、
きっとそれはコストと手間が重なり合うことなので、
自然と省いていたり、
安易なほうに物事は微妙に傾いていくのでしょう。
だから完全はないということでもあります。
いくら安全や永遠を重ねても、
「事故」や「死」は起きてしまうものです。
なので、
「これは必ずこうだ」と肯定できるものはほとんどないということだと思っています。
時間の流れさえも、
あらゆるものを疑っていくのかもしれません。
それは何もかも海に解けるような感覚でもあり、
全てと一体感を感じる瞬間は今後とても大切な時間となっていくのでしょう。

よく、
目的を持って行動をしましょうという教育を受けていたと思います。
勉強や仕事(組織)などにおいては動くためにわかりやすい指標かもしれません。
ですが、
自分自身の事や人生においては違うと思います。
なぜなら、
それは本人はとてもつまらなく感じ、
やっていて苦しくなってくるからです。
目的達成のためのプレッシャーと小さな空間に押しつぶされるようになったり、
自分自身の本当の存在を忘れてしまいます。
もし、
人生を目的のみで動いていたとすれば、
それは自分自身を無視している事となるでしょう。
同じ事をするでも、
策略から入ってするのと、
胸から湧き出るエネルギーでするのでは自身の感触が違います。
きっと、
なぜだかわからないけど、
これがやりたいんだと思いたって行動するほうが、
本人もとても自由にルールとシガラミにとらわれずに泳げるでしょう。
自分の胸に聞いてごらんとよく言われますが、
長年これをしてこなかった人は、
自分の胸の声がどの声かわからないと思います。
きっと、
声の大きい欲望の声を選んでしまうでしょう。
もし、
自分の本当の声を知りたいのならば、
やりたい事にたいして、
目的があるのだろうかと見つめてみてください。
やりたい事にたいして、
心が躍るのだろうかと監視してください。
もし、
有名になりたいから、
大金を稼ぎたいから、
チヤホヤされるから、
などの目的がこっそりとひそんでいるのならばそれは、
欲望のほうなんだと思います。
また、
これらをうまくクリアして進んでいっても、
欲望は私の隙を常に狙ってきます。
ついつい人の意識はいつの間にかわからないところに行ってしまうものです。
これがこうだと一時の確信をしても、
それは雲のように、
もうその時は違う形になって、
自分の立ち位置も移動しているかもしれない。
そのことすら気づかずに作業を続けているのかもしれない。
いかに自分自身に還る事を忘れ去られる如く、
とても巧妙な流れにできているので、
常に、常に自分自身を監視し続けなくてはなりません。
つねにどうありたいか、
自分自身の本当の声を聞く事、
そして安易な方ばかりに流れないように、
気をつけなくてはなりません。
本当の自分を生きるとは・・・

目的を持って行動をしましょうという教育を受けていたと思います。
勉強や仕事(組織)などにおいては動くためにわかりやすい指標かもしれません。
ですが、
自分自身の事や人生においては違うと思います。
なぜなら、
それは本人はとてもつまらなく感じ、
やっていて苦しくなってくるからです。
目的達成のためのプレッシャーと小さな空間に押しつぶされるようになったり、
自分自身の本当の存在を忘れてしまいます。
もし、
人生を目的のみで動いていたとすれば、
それは自分自身を無視している事となるでしょう。
同じ事をするでも、
策略から入ってするのと、
胸から湧き出るエネルギーでするのでは自身の感触が違います。
きっと、
なぜだかわからないけど、
これがやりたいんだと思いたって行動するほうが、
本人もとても自由にルールとシガラミにとらわれずに泳げるでしょう。
自分の胸に聞いてごらんとよく言われますが、
長年これをしてこなかった人は、
自分の胸の声がどの声かわからないと思います。
きっと、
声の大きい欲望の声を選んでしまうでしょう。
もし、
自分の本当の声を知りたいのならば、
やりたい事にたいして、
目的があるのだろうかと見つめてみてください。
やりたい事にたいして、
心が躍るのだろうかと監視してください。
もし、
有名になりたいから、
大金を稼ぎたいから、
チヤホヤされるから、
などの目的がこっそりとひそんでいるのならばそれは、
欲望のほうなんだと思います。
また、
これらをうまくクリアして進んでいっても、
欲望は私の隙を常に狙ってきます。
ついつい人の意識はいつの間にかわからないところに行ってしまうものです。
これがこうだと一時の確信をしても、
それは雲のように、
もうその時は違う形になって、
自分の立ち位置も移動しているかもしれない。
そのことすら気づかずに作業を続けているのかもしれない。
いかに自分自身に還る事を忘れ去られる如く、
とても巧妙な流れにできているので、
常に、常に自分自身を監視し続けなくてはなりません。
つねにどうありたいか、
自分自身の本当の声を聞く事、
そして安易な方ばかりに流れないように、
気をつけなくてはなりません。
本当の自分を生きるとは・・・

「いつもツボに刺すんですか?」
治療中、
よくこんな事を聞かれます。
はい、
しっかり教科書に載ってるツボに刺す事もありますし、
身体の反応点に刺す事もありますよ。
と、さらっと答えてしまいますが、
これって実は、
「気ってなんですか?」
「なんで私たちって生きてるんですか?」
というレベルに難しく感じます。
「ツボってなんですか?神経ですか?」
という事もよく聞かれるのです。
一般的には電気反応の高いところで、
科学的にはしっかりと解明されていないらしい。
たしかに神経系が多く集まる場所でもあります。
神経系がわかっていない時代からのツボですが・・・。
人間が大陸だったらツボは駅の役割をしてくれて、
駅をつなげたら経絡という線路になってくれて、
身体の連絡や栄養やエネルギーを運んでくれるのです。
「じゃあツボってどうやってわかったのですか?」
という流れになります。
きっと今まで病気の人のデータに基づいてツボが発見されていったのだと思います。
反応点(皮膚の色、ざらつき、うぶ毛の生え方、凹凸があるか、など)と症状とを確かめながら、
そこを押してみて具合はどうか、
よくなるのかそうではないのかと、
作り上げていったのではないかと思います。
ごくたまに最近でもツボを発見されたりもします。
この症状の多くの人はここに反応点が出て、
ここを治療すると調子がよいなどと。
そのツボの名前を発見者の名前なんかにしたりと…。
「なんだか星みたいですね。」
ある患者さんがそう言った。
そうか。
『空が大宇宙としたら、人間は小宇宙。』
教科書に出てくるこのよくわからない哲学。
だったら人間の中に星があってもいいじゃないか。
今まで人間の中には、
みんな神様がいるから(ちょっと前の話ではトイレの神様とか…)という事や、
体内は循環しているからという解釈をしていたが、
空に太陽や月や惑星があるならば、
人間にだって、
それに対するものがあってもおかしくはないのだと感じ始めました。
そうなると、
惑星は五臓六腑かしらなんて患者さんと話ながら、
治療をすすめていくのでした。

震災が起きた今、
自分に問う。
ではあなたの中の日本、東北は、
どのような状況にいるのか。
治療中、
よくこんな事を聞かれます。
はい、
しっかり教科書に載ってるツボに刺す事もありますし、
身体の反応点に刺す事もありますよ。
と、さらっと答えてしまいますが、
これって実は、
「気ってなんですか?」
「なんで私たちって生きてるんですか?」
というレベルに難しく感じます。
「ツボってなんですか?神経ですか?」
という事もよく聞かれるのです。
一般的には電気反応の高いところで、
科学的にはしっかりと解明されていないらしい。
たしかに神経系が多く集まる場所でもあります。
神経系がわかっていない時代からのツボですが・・・。
人間が大陸だったらツボは駅の役割をしてくれて、
駅をつなげたら経絡という線路になってくれて、
身体の連絡や栄養やエネルギーを運んでくれるのです。
「じゃあツボってどうやってわかったのですか?」
という流れになります。
きっと今まで病気の人のデータに基づいてツボが発見されていったのだと思います。
反応点(皮膚の色、ざらつき、うぶ毛の生え方、凹凸があるか、など)と症状とを確かめながら、
そこを押してみて具合はどうか、
よくなるのかそうではないのかと、
作り上げていったのではないかと思います。
ごくたまに最近でもツボを発見されたりもします。
この症状の多くの人はここに反応点が出て、
ここを治療すると調子がよいなどと。
そのツボの名前を発見者の名前なんかにしたりと…。
「なんだか星みたいですね。」
ある患者さんがそう言った。
そうか。
『空が大宇宙としたら、人間は小宇宙。』
教科書に出てくるこのよくわからない哲学。
だったら人間の中に星があってもいいじゃないか。
今まで人間の中には、
みんな神様がいるから(ちょっと前の話ではトイレの神様とか…)という事や、
体内は循環しているからという解釈をしていたが、
空に太陽や月や惑星があるならば、
人間にだって、
それに対するものがあってもおかしくはないのだと感じ始めました。
そうなると、
惑星は五臓六腑かしらなんて患者さんと話ながら、
治療をすすめていくのでした。

震災が起きた今、
自分に問う。
ではあなたの中の日本、東北は、
どのような状況にいるのか。