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太陽と海の恵み~女性の鍼灸院院長ブログ

東京の大森にある こころとからだの女性専門鍼灸(しんきゅう)院「はりきゅう しぜんの恵み」女性針灸師の日々

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とある歯医者でのできごとです。

お子様遊び場コーナーに無造作に本やらおもちゃやらがちりばめられていて、
私は友達の子供をみながらそれらを片付けていたのです。

こちら葛飾区亀有公園前派出所も気になりましたが、
噂を耳にしていたけれど、
何となく縁がなかったこの絵本を手に取りました。

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無心で読んでいましたが、
ぼたぼたと涙がこぼれていました。

途中参加の友達も涙ぽろぽろ。

私が好きなところは、

「おれは、100万回も、、、、、、。」
と いいかけて、ねこは、
「そばに いても いいかい。」
と、白いねこに たずねました。

というところ。

100万回も生きて自信満々なねこは白いねこに降参するわけですね。

今までの自分を捨てるのです。

白いねこに出会って、
100万回も生きたことなんてどぉってことなくて、
愛を知ってしまったことの方が遥かにすごいことだった。

色々経験を積んで勇敢に生きて行くのも、
家族を愛して穏やかに生きて行くのも、
どちらも好き好きで自分の思う様に生きて行くのが一番だと思いますが、
とっても衝撃を受けた絵本でした。

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人にはそれぞれの役割があります。

たぶん、どんな人にも、例え周りに迷惑をかけていて、
それさえ気づかない人でもね。

地球には様々な生き物が共存しながらにして
絶妙なバランスの中で世の中と地球とがグルグルとが回っている。

もちろんそれを包むのはきっと宇宙ってやつなんだろうけど。。


その中で生きる事にとても苦しむ人がいます。

彼らは変えられないどうしようもない環境や幼い頃の記憶、
胸のところにある固い塊みたいなものがつっかかって楽に呼吸のようなものができなかったりと、
具体的にそういうものがなくてもあらゆう事象に傷を負いやすく生きずらい人もいる。

明日目が覚めたら何もかもが変わっていたらいいのにと。

だけど彼らは他人より頭の回転が良かったり、
才能があったり、
儚いほど容姿端麗であったりと、
何か秀でてしまっているものが他人からはキラキラと見えてしまう。

あるところをぎゅっと押さえると、
反対側のあるところがバンっと出てしまうビニール風船かのように。

ある人は人間にはバランスが必要だと言う。

では肉体的、精神的にバランスが取れるまでどうすればいいの?


肉体から治療をすることによって、
精神に作用されてバランスが取れる事も多々ある。

しかしそれは現代の中の薬事療法とできれば切り離して考えて行きたい。

なぜならバランスとは自発的、自立的事柄に似ている事だと思うから。

徐々に、、、とかたまに、、、とかの中で自分のバランスを探る事は希望と捉える。

他の全うな方法も有るのに関わらずに全てにおいてそこに依存状態に陥る事は悲しい事だ。

悲しさの中でバランスを探るために、
人は何か自分の表現を見つけようとする。

お金にならなくいいわけだし、
今すぐに人に評価されなくてもいい。
いつか評価される時が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
(もしお金や評価を期待するのであれば、そこにどんな深い理由がある?)

子供を育てる事だってそうだし、遊ぶ事だってそうだと思う。

人にはそれぞれの役割があると思います。

あなたが生きていればあなたの知らないところで誰かのパワーになる事があると思うのです。

生きれいればこそ。
何かが変わるかもしれないから。


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それはもちろん自分のものだと思います。

ですが、
はたしてそれはまっさらな感覚の中で生まれたものなのだろうか?

きっかけは人であれ、
ものであれ、
風であれ、
必ず自分の外側に触れたものや事柄なのだと思います。

だから何かしらのきっかけは他者から与えられ、
自分の中で発動したものなので、
全くのオリジナルなんてないのかもしれないとも感じてしまうのです。

何かしらお互いにインスピレーションを受け合っていると思うのです。

自分から生まれただろう何かは必ず誰かのエネルギーが混じっていることは忘れずにいたいものだ。


例えば女子の中でよくあるのが、
友達の前でお気に入りの靴を履いて行ったら次回、
その友達が似たような靴を履いてきたというような事。
(これは母から聞かされた事実、、、。笑)

きっとその友達は母や他の何かから、
母はきっと若い子や雑誌、テレビ、季節などから受けたインスピレーション。

色んなものが混じり合った結果なのだろう。

私はそれでお互いに切磋琢磨に刺激を受けて、
向上しながらキレイになっていくのならいい事ではないのかなと思う。

そうしたほうが、世界は平和になる気がするのだ(笑)


ですがそこにお金が絡んでくるととても厄介で争いが絶えない事となる。

例えば思考の著作権だの、
それは俺が考えた治療方法だから使用は認めないだの。

おいしい汁は独り占めして周りに羨ましがられて、
一瞬いい気持ちになりたいのは私たちが生きているからかなぁ。

鍼灸の狭い世界だなんて、
そんな事をしていたらとっくの昔に終わっていた世界なのだと思う。

今、
鍼灸が昔よりじわじわと認知度があがってきているのも、
先代達が水面下で庶民万人に広めてきた歴史があるからだと。


たかが100年の自分1人の幸せ
(というよりほとんどはその人自身の持つ恐怖や劣等感が発端)を考えるより、
横に広がる、
誰にも所持できる意識のほうがはるかに価値があると思わないか。

そのほうがその意識は千年の寿命が伸びて、
人類はもっと自由に向上心を持って生きれると思わないか。



叡智とは、
インディアンがだだっ広い大地や水の流れを見渡すように、
息の長く繋がる意識のような気がする。


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1人の人間の言いたい事や大切にしたい事は、
もしかして大きく分けたら1つなのかもしれないとも思う。


それを細かく細かく割って考えたり、
あらゆる方向へ行動したり、
誰かと出逢って確かめたり、
色んな角度から文章を書いたりしているのだと思う。

そういう、
大きな枠の中で変化するものもしないものも踏まえて、
何かが描かれている絵画を炙り出していくようなものだと思う。

子供の頃のものって、
とってもシンプルな願いだったりする。

お父さんとお母さんが仲良しだったらそれだけで嬉しかった。

姉の術後の病室で、
すぐに父が私の手を引いてそこを出た時は、
何も言わなくても2、3歳の私は父の気持ちを悟っていた。

そして自分の無力感を子供ながらに感じて、
自らを知ったのだと思う。

誰にでも、
子供の頃のイベントに何かしらのシンプルな原点が隠れているのだろう。

今思えば、
これは私にとってとても大切な指標のように思っている。


ヴィジョンを思い描けば想いの力が働いて夢が叶うと言われている世の中だけど、
私はちょっと違うと思う。

無理にそう思うようにしてないか。
本当にそれは魂のようなものからの”注文”なのだろうか。
それは将来の不安や何かが惑わして暗示しているものではないか。
色んな苦労をしても全人生のエネルギーを注いでも自分の中で価値ある”夢”なのか。
はたしてそれは自然に出た自分のヴィジョンなのか、
他人の発した言葉なのか。

私は何か自分の思う様に行かない事があったとしたら、
それに関する自らの否定する声を見つけようとする。

少しでも自分を疑ってどこかで無理なんじゃないかと思っていたら、
それも自分の想いの力に加わってしまうからくりもあるから。

心底それを願うならば、
勝手に湧き出る泉のように、
ヴィジョンや行動に現れるのかもしれない。

しかし、
色々とグルグル巡ってやっと辿り着くのも着かないのも、
それが真摯な姿勢であれば、
それだけでいいのかもしれない。



流れ星の流れる間に3回願い事をとなえるとその願いが叶うという事は有名な話です。

何かのラジオでそれはその流れ星が流れる一瞬を切り取っても、
その人がその願いを一生懸命考えている証拠だから、
その意識は自然と努力や行動に現れていつかは叶うという事だよと言っていた。
(ような気がする。。。)


去年の12月の終わり、
人生で初めて流れ星というものをみた。

オレンジ色に燃えた光がひゅーっと漆黒の空に溶けた。

その光は恐ろしくも感じて、
私は何かを願う勢いもなく唖然としてしまったが(笑)、
星になったのであろう、
あの子が私の脳裏にひゅーっと通り過ぎたのを感じた。


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私の大好きな言葉です。

自身の中の頭の中に、
ポジティブなこと、気持ちいいこと、都合のいいことばかり追い求めたいと、
今の状況が気に入らないからそう願ってしまうのだと思います。

自分の今を否定していることと同じ様に。

そういった類いの、
あたかもそれが素晴らしいことの様にうたっている本も沢山見かけます。

自分の中がニュートラルであれば、
今と真逆に行くのではなくて、
もっとナチュラルに自身の中に溶けていくのではないか。

時をコントロールせずに、
この状況と一つとなって謎解きを楽しまないか。

だってそれは、
私自身のうまみでもあるから。

こんな状況を恥ずかしがる必要もない。

理想の思想を持つ自分を演じる必要もない。

もし、
感情的なある日があるならば、
それは自分の核の部分にその時の状況を判断する何かが被さって違うものになっていたりする。

実際の奥底の自分はこうなのに、
こう思いたい自分の気持ちが邪魔して一致していなかったりする。

いつの間にやら、
私の気づかないうちに、
まやかしの魔法にかけられて、
自分のマインドが煙にまかれた状態になっている時もある。

いつも忘れてしまいがちだが、
もっとシンプルな部分の自分を掴んでおきたい。

捉え方はその人それぞれなものであり、
今まで生きてきた環境の中で勝手にジャッジされてしまうものなので、
評価は一先ず置いといてもいい。

変化するには、
気や気体から変化し始めて、
液体、物体が最後となり時間が少しかかるので、
後々に興味があったら近くにいる誰かに確認するくらいでいい。

何かがずっと同じことはない。
変わり続けるのだ。

様々な時の流れが、
一つの束になって、
自分の幹となってくれるのだろう。


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しぜんの恵み

Author:しぜんの恵み
はりきゅう しぜんの恵み
院長 須藤恵理子です。

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