子供の頃のこんな記憶がある。
ただ、
光が眩しかったというだけの記憶が。
言葉も自由な動きもできないから、
頭の中に時間の概念はあまりありませんでしたが、
空が懐かしくて、
光にやさしくされて、
遊んでもらっている日々でした。

光の中に含まれる、
虹色とアメーバのような動きをした粒々が
赤ちゃんだった私をあやしてくれていたのだろうか。
今でも光を見ると、
たまにその事を思い出して
自分は何も変わっていないような気がした。
画用紙に自分なりに虹色を塗ってから
黒いクレヨンでその上を塗りつぶし、
割り箸を削った棒で何かを描くと
下の虹色が鮮やかに出てくる。
真っ暗い世界が光を引き立てる宇宙のように。
その遊びが好きだった。

絵ばかり描いてる子供だったので、
絵本はもっぱら挿絵から物語を想像していた。
(数年後、
同じ本をちゃんと読んだら、
「あれ?こんな話だったの?」という事もしばしば)
だから文字も絵の具のように扱って、
作文もだらだらとひたすら書ける小学生でした。
その代わりと言っては、
言葉のレパートリーは少ない。
なので、
あまり上手さは気にせずに、
いかにその時の美しい情景を鮮明に思い浮かべているか、
という事を大切に。
ブログを描いている今日、
その辺のところは
今と昔もなにもかも変わってはいないのです・・・(笑)
ただ、
光が眩しかったというだけの記憶が。
言葉も自由な動きもできないから、
頭の中に時間の概念はあまりありませんでしたが、
空が懐かしくて、
光にやさしくされて、
遊んでもらっている日々でした。

光の中に含まれる、
虹色とアメーバのような動きをした粒々が
赤ちゃんだった私をあやしてくれていたのだろうか。
今でも光を見ると、
たまにその事を思い出して
自分は何も変わっていないような気がした。
画用紙に自分なりに虹色を塗ってから
黒いクレヨンでその上を塗りつぶし、
割り箸を削った棒で何かを描くと
下の虹色が鮮やかに出てくる。
真っ暗い世界が光を引き立てる宇宙のように。
その遊びが好きだった。

絵ばかり描いてる子供だったので、
絵本はもっぱら挿絵から物語を想像していた。
(数年後、
同じ本をちゃんと読んだら、
「あれ?こんな話だったの?」という事もしばしば)
だから文字も絵の具のように扱って、
作文もだらだらとひたすら書ける小学生でした。
その代わりと言っては、
言葉のレパートリーは少ない。
なので、
あまり上手さは気にせずに、
いかにその時の美しい情景を鮮明に思い浮かべているか、
という事を大切に。
ブログを描いている今日、
その辺のところは
今と昔もなにもかも変わってはいないのです・・・(笑)
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