もし、
ずっとこのままこの制限の多くある中で、
働き蟻のように、
馬車馬のように、
働いていくのだったら、
それは自分の人生にとって不本意だし、
生きている意味がない。
というより、
生まれてきた意味がない・・・。
昔々、
何故だかそのような言葉が胸の奥で鳴っているような気がしていた。
いつしか世間は、
好きなことをして食べていく事は難しい事、
と口を揃えていう事になっていた。
だから自分で自分に、
それは一部のとっても優れた人しか許されない世界なんだとマインドコントロールをしていた。

しかし好きなことというのはどういう事か。
10代の頃はお洒落や美容に少し興味があった。
だけど今思えば、
それは私にとって、
見栄や鬱憤の発散のためだったのかもしれない。
なぜならそれら対して、
「どうしてそうなのだろう」という「?」が生まれなかったのだ。
可愛い服に身を包んで、
街を歩けばそこで終わりだったのである。
最近、
「夢」というなど、
耳障りのいい言葉を使って誤魔化している文章もよくあるが、
それは「夢」という名の欲望が姿を変えている場合もある。
お金を稼いだり、
名を広めたりして、
他人より優位に立っていたい。
そんなものは夢ではなく、
人間の陥りやすい我欲の落とし穴だと思っていつも見ていたい。
そのようなものは関係なくして、
例え食べていくのが少々難しくても、
世間にあまり認められなくても、
そのような不安をさほど気にならないほど、
「もっと深く知っていきたい」と欲した事が「ほんとうにすきなこと」の最初の発見でした。
そのために必要なものは、
それに協力的で、
自分を潰さない環境であり、
誰にも邪魔されない自由な仕事場でした。
今思えば自らの意識が環境を造り上げていったかのようだ。
自由を求める事に反対する者もいる。
だが、
彼らは他人の人生の一部しか知らない。
彼らをそう促すのは、
己の迷いや恐怖心なのだと思う。
自分が決めさえすれば、
彼らは手をふってその場を立ち去るか、
相手を見るまなざしを変えるだろう。
学生時代は、
好きなことだなんてわからないから、
とりあえず見つけるためにも大学に行っておこうかなとも思った事もあったが、
辛い環境に置かれれば、
置かれるほど、
心が欲するものが見えてくる事がわかった。
なぜなら、
自分にとって、
絶対捨てられない何かにしがみつくからである。
もし、
それをなくしたら生きていなくてもいいと思ってしまった。
もちろん、
捨てたほうがいいものに勘違いしてしがみついている場合もあるし、
弱さから素晴らしい魂を悪魔に売ってしまう人もいる。
だがその場合、
いつかその者自身に限界がくるものなんだと知っていた。
ごくたまに出会う、
賢人のような人達はみんな魂をしっかりと持ち、
余計なものを落としながら、
磨き続けていた。
少しずつ、
少しずつ、
色が足され、削られ、
見えてくる絵画のように、
ほんとうにもとめていることは姿形を現してくれる。
それは尚今も姿形を変えながら進行形である。

ずっとこのままこの制限の多くある中で、
働き蟻のように、
馬車馬のように、
働いていくのだったら、
それは自分の人生にとって不本意だし、
生きている意味がない。
というより、
生まれてきた意味がない・・・。
昔々、
何故だかそのような言葉が胸の奥で鳴っているような気がしていた。
いつしか世間は、
好きなことをして食べていく事は難しい事、
と口を揃えていう事になっていた。
だから自分で自分に、
それは一部のとっても優れた人しか許されない世界なんだとマインドコントロールをしていた。

しかし好きなことというのはどういう事か。
10代の頃はお洒落や美容に少し興味があった。
だけど今思えば、
それは私にとって、
見栄や鬱憤の発散のためだったのかもしれない。
なぜならそれら対して、
「どうしてそうなのだろう」という「?」が生まれなかったのだ。
可愛い服に身を包んで、
街を歩けばそこで終わりだったのである。
最近、
「夢」というなど、
耳障りのいい言葉を使って誤魔化している文章もよくあるが、
それは「夢」という名の欲望が姿を変えている場合もある。
お金を稼いだり、
名を広めたりして、
他人より優位に立っていたい。
そんなものは夢ではなく、
人間の陥りやすい我欲の落とし穴だと思っていつも見ていたい。
そのようなものは関係なくして、
例え食べていくのが少々難しくても、
世間にあまり認められなくても、
そのような不安をさほど気にならないほど、
「もっと深く知っていきたい」と欲した事が「ほんとうにすきなこと」の最初の発見でした。
そのために必要なものは、
それに協力的で、
自分を潰さない環境であり、
誰にも邪魔されない自由な仕事場でした。
今思えば自らの意識が環境を造り上げていったかのようだ。
自由を求める事に反対する者もいる。
だが、
彼らは他人の人生の一部しか知らない。
彼らをそう促すのは、
己の迷いや恐怖心なのだと思う。
自分が決めさえすれば、
彼らは手をふってその場を立ち去るか、
相手を見るまなざしを変えるだろう。
学生時代は、
好きなことだなんてわからないから、
とりあえず見つけるためにも大学に行っておこうかなとも思った事もあったが、
辛い環境に置かれれば、
置かれるほど、
心が欲するものが見えてくる事がわかった。
なぜなら、
自分にとって、
絶対捨てられない何かにしがみつくからである。
もし、
それをなくしたら生きていなくてもいいと思ってしまった。
もちろん、
捨てたほうがいいものに勘違いしてしがみついている場合もあるし、
弱さから素晴らしい魂を悪魔に売ってしまう人もいる。
だがその場合、
いつかその者自身に限界がくるものなんだと知っていた。
ごくたまに出会う、
賢人のような人達はみんな魂をしっかりと持ち、
余計なものを落としながら、
磨き続けていた。
少しずつ、
少しずつ、
色が足され、削られ、
見えてくる絵画のように、
ほんとうにもとめていることは姿形を現してくれる。
それは尚今も姿形を変えながら進行形である。

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