太陽と海の恵み~女性の鍼灸院院長ブログ

東京の大森にある こころとからだの女性専門鍼灸(しんきゅう)院「はりきゅう しぜんの恵み」女性針灸師の日々

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それはもちろん自分のものだと思います。

ですが、
はたしてそれはまっさらな感覚の中で生まれたものなのだろうか?

きっかけは人であれ、
ものであれ、
風であれ、
必ず自分の外側に触れたものや事柄なのだと思います。

だから何かしらのきっかけは他者から与えられ、
自分の中で発動したものなので、
全くのオリジナルなんてないのかもしれないとも感じてしまうのです。

何かしらお互いにインスピレーションを受け合っていると思うのです。

自分から生まれただろう何かは必ず誰かのエネルギーが混じっていることは忘れずにいたいものだ。


例えば女子の中でよくあるのが、
友達の前でお気に入りの靴を履いて行ったら次回、
その友達が似たような靴を履いてきたというような事。
(これは母から聞かされた事実、、、。笑)

きっとその友達は母や他の何かから、
母はきっと若い子や雑誌、テレビ、季節などから受けたインスピレーション。

色んなものが混じり合った結果なのだろう。

私はそれでお互いに切磋琢磨に刺激を受けて、
向上しながらキレイになっていくのならいい事ではないのかなと思う。

そうしたほうが、世界は平和になる気がするのだ(笑)


ですがそこにお金が絡んでくるととても厄介で争いが絶えない事となる。

例えば思考の著作権だの、
それは俺が考えた治療方法だから使用は認めないだの。

おいしい汁は独り占めして周りに羨ましがられて、
一瞬いい気持ちになりたいのは私たちが生きているからかなぁ。

鍼灸の狭い世界だなんて、
そんな事をしていたらとっくの昔に終わっていた世界なのだと思う。

今、
鍼灸が昔よりじわじわと認知度があがってきているのも、
先代達が水面下で庶民万人に広めてきた歴史があるからだと。


たかが100年の自分1人の幸せ
(というよりほとんどはその人自身の持つ恐怖や劣等感が発端)を考えるより、
横に広がる、
誰にも所持できる意識のほうがはるかに価値があると思わないか。

そのほうがその意識は千年の寿命が伸びて、
人類はもっと自由に向上心を持って生きれると思わないか。



叡智とは、
インディアンがだだっ広い大地や水の流れを見渡すように、
息の長く繋がる意識のような気がする。


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1人の人間の言いたい事や大切にしたい事は、
もしかして大きく分けたら1つなのかもしれないとも思う。


それを細かく細かく割って考えたり、
あらゆる方向へ行動したり、
誰かと出逢って確かめたり、
色んな角度から文章を書いたりしているのだと思う。

そういう、
大きな枠の中で変化するものもしないものも踏まえて、
何かが描かれている絵画を炙り出していくようなものだと思う。

子供の頃のものって、
とってもシンプルな願いだったりする。

お父さんとお母さんが仲良しだったらそれだけで嬉しかった。

姉の術後の病室で、
すぐに父が私の手を引いてそこを出た時は、
何も言わなくても2、3歳の私は父の気持ちを悟っていた。

そして自分の無力感を子供ながらに感じて、
自らを知ったのだと思う。

誰にでも、
子供の頃のイベントに何かしらのシンプルな原点が隠れているのだろう。

今思えば、
これは私にとってとても大切な指標のように思っている。


ヴィジョンを思い描けば想いの力が働いて夢が叶うと言われている世の中だけど、
私はちょっと違うと思う。

無理にそう思うようにしてないか。
本当にそれは魂のようなものからの”注文”なのだろうか。
それは将来の不安や何かが惑わして暗示しているものではないか。
色んな苦労をしても全人生のエネルギーを注いでも自分の中で価値ある”夢”なのか。
はたしてそれは自然に出た自分のヴィジョンなのか、
他人の発した言葉なのか。

私は何か自分の思う様に行かない事があったとしたら、
それに関する自らの否定する声を見つけようとする。

少しでも自分を疑ってどこかで無理なんじゃないかと思っていたら、
それも自分の想いの力に加わってしまうからくりもあるから。

心底それを願うならば、
勝手に湧き出る泉のように、
ヴィジョンや行動に現れるのかもしれない。

しかし、
色々とグルグル巡ってやっと辿り着くのも着かないのも、
それが真摯な姿勢であれば、
それだけでいいのかもしれない。



流れ星の流れる間に3回願い事をとなえるとその願いが叶うという事は有名な話です。

何かのラジオでそれはその流れ星が流れる一瞬を切り取っても、
その人がその願いを一生懸命考えている証拠だから、
その意識は自然と努力や行動に現れていつかは叶うという事だよと言っていた。
(ような気がする。。。)


去年の12月の終わり、
人生で初めて流れ星というものをみた。

オレンジ色に燃えた光がひゅーっと漆黒の空に溶けた。

その光は恐ろしくも感じて、
私は何かを願う勢いもなく唖然としてしまったが(笑)、
星になったのであろう、
あの子が私の脳裏にひゅーっと通り過ぎたのを感じた。


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私の大好きな言葉です。

自身の中の頭の中に、
ポジティブなこと、気持ちいいこと、都合のいいことばかり追い求めたいと、
今の状況が気に入らないからそう願ってしまうのだと思います。

自分の今を否定していることと同じ様に。

そういった類いの、
あたかもそれが素晴らしいことの様にうたっている本も沢山見かけます。

自分の中がニュートラルであれば、
今と真逆に行くのではなくて、
もっとナチュラルに自身の中に溶けていくのではないか。

時をコントロールせずに、
この状況と一つとなって謎解きを楽しまないか。

だってそれは、
私自身のうまみでもあるから。

こんな状況を恥ずかしがる必要もない。

理想の思想を持つ自分を演じる必要もない。

もし、
感情的なある日があるならば、
それは自分の核の部分にその時の状況を判断する何かが被さって違うものになっていたりする。

実際の奥底の自分はこうなのに、
こう思いたい自分の気持ちが邪魔して一致していなかったりする。

いつの間にやら、
私の気づかないうちに、
まやかしの魔法にかけられて、
自分のマインドが煙にまかれた状態になっている時もある。

いつも忘れてしまいがちだが、
もっとシンプルな部分の自分を掴んでおきたい。

捉え方はその人それぞれなものであり、
今まで生きてきた環境の中で勝手にジャッジされてしまうものなので、
評価は一先ず置いといてもいい。

変化するには、
気や気体から変化し始めて、
液体、物体が最後となり時間が少しかかるので、
後々に興味があったら近くにいる誰かに確認するくらいでいい。

何かがずっと同じことはない。
変わり続けるのだ。

様々な時の流れが、
一つの束になって、
自分の幹となってくれるのだろう。


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「あなたの血はドロドロです。」

ある時、
患者さんがある漢方薬局でこう言われて、
色んなことが重なったせいか、
泣いて帰ってきたそうです。

瘀血(おけつ)という症状が東洋医学の中にあります。

瘀血の説明はここでは割愛させていただきます。

もちろん最近CMで流れているように、
東洋医学では未病の表現があります。

なので瘀血という表現は未病でもあり、
ひどくなれば病気にだってつながることもあるのです。

ですが私たちの国は西洋医学で教育され、
それが医療の基本という風に意識づけられています。

その中で瘀血を現代医学風に言い換えたとしたのだろう、
そこで出てしまったのが血液ドロドロ(笑)

大変ですね、
恐怖を感じるし、
なんだか緊急を強いられるようです(笑)

その漢方屋さんは、
マッサージを受けるとよくある、
お客さんここ凝っているね〜良くないよ〜というような事を言いたかったのかもしれません(笑)

もしくはその人の弱みを握って、
恐怖を増幅させて、
壷を買わせる方法だったのかもしれません(笑)

東洋医学を習いだした学生の頃、
例えば友達や家族に説明するのはとても難しいことだなぁと感じました。

一言ではなかなか理解しにくいものです。

最初は本当に医学か?とおとぎ話かと思いましたもん(笑)

それプラス、
人とのコミュニケーションの難しさ、
かけ間違いやすさと言ったらね。



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私はなぜだか夏休みとか、
長い休みが好きではなかった変な子供でした。

学校も好きではなかったけど(笑)
(小学1年の時から義務教育修了まであと数年と数えて一人がっかりの毎日だったのです。。
 軍隊に強制的に入れられているような気分でした。笑)

たぶん、
すごく暇を感じていたからです。

この膨大な人生の時間をどう過ごしていいのか、
わからなかったのです。

例えば、
今日は遊んだとして、
明日宿題をやったとして、
その次どうしようと悩んだのです。

単発の行事では後に続かない恐怖があったのです。

やる事がないととてもつまらないし、
子供のくせ生きる虚しさを感じてしまって、
こんなんだったらせっかく生まれてきたのに意味ないじゃん、と
ブルーになってしまうのです。

だから、
これから死ぬまでの、
この膨大な時間をどう使おうか、
有意義な暇つぶしは何か、
どうしたら自分は海の中を泳ぐように真剣に過ごせるか、
あわよくば楽しめるほうがいいな、と
18歳までこっそりと模索をしていました。

それが私にとっての「仕事」という意味なのだと知るのは、
もう少し先でしたが。

幼い頃の我が儘でふてくされた私が今の私を支えてくれているように、
私は未来の私を支えていけたらいいなあ。


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しぜんの恵み

Author:しぜんの恵み
はりきゅう しぜんの恵み
院長 須藤恵理子です。

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